「君が代演奏譜のスレとズレ」
 
内藤孝敏(作・編曲家)
  『月刊文藝春秋・巻頭随筆』掲載(一九九七年八月号)

 明治時代初期、古い読み人知らずの和歌「君が代」に三つの異なる旋律が付けられた。「第一の君が代」は日本初のブラスバンドである薩摩藩軍楽隊が立案した曲で、明治三年から約十年間、国歌として演奏されていた。「第二の君が代」は宮内庁雅楽課が海軍省の依頼で明治十三年に作曲したもので、今でも国を祝う歌として広く歌われている曲(国歌認定については後述)である。「第三の君が代」は西洋音楽の研究機関である音楽取調掛(東京音楽学校・東京芸大の前身)が明治十四年編纂の『小学唱歌集』に掲載したもので、校内で児童たちによって歌われていた。
 この中の「第一の君が代」と「第三の君が代」は現在全く忘れ去られ、「第二の君が代」だけが以後百年以上にわたって日本人に歌い継がれているのは何故か。その謎を探るため、拙著『三つの君が代=日本人の音と心の深層=』(本年一月、中央公論社刊)で音楽的考察を試みた。執筆のため様々な楽譜資料を調査したが、主題から外れているために掲載しないものも多かった。その中の「(第二の)君が代」演奏譜について記したい。

 一般にあまり知られていないと思うが、我々が普段目にする四部合唱譜やピアノ譜のほかにも様々な「君が代」の楽譜がある。簡単な二部合唱譜、初等ピアノ練習曲のように三連音符を多用した伴奏譜、バロック風な凝った八分音符で飾られた編曲譜、その他、編曲者名のあるもの不明のものを含めて実に多種多様な楽譜が明治以来制作され出版されている。
 君が代研究家の水谷弘氏(早大講師)の収集資料には更に数多くのオーケストラ譜やブラスバンド譜がある。公式の場で「君が代」を演奏する団体は宮内庁楽部と自衛隊・警視庁・東京消防庁の音楽隊及び各地の公立交響楽団で、その使用譜を君が代公式譜と考えてよいだろう。雅楽譜は別として、その公式譜だけを数えても十数種類以上に及んでいる。その上、同じ楽譜を使っているとばかり思っていた音楽隊の楽譜にも、変ハ長調(明治十三年・エッケルト原譜)、変ロ長調(明治三十五年・陸軍軍楽譜)、ハ長調(大正十四年・海軍儀制曲総譜)と様々な調性があることが分かった。

 薩摩藩軍楽隊は明治二年の発足当時、英国を範とした。明治五年、兵部省が陸軍と海軍に分かれ、軍楽隊も分割されて各々仏蘭西・英国をモデルとする。その後、海軍が英国から独逸に様式を変更したために仏・独二つの軍楽様式が昭和二十年の終戦時まで続くことになる。そして戦後、海軍軍楽隊が東京消防庁音楽隊に、陸軍軍楽隊が警視庁音楽隊に転身し、更に自衛隊の軍楽隊が誕生したため、様式混在の状態はいよいよ進むことになった。しかし現在では、音楽教育の普及などもあり、際立った様式の差はなく、調性もハ長調に統一されている。ただ、演奏譜については、その出身母体の使用譜を引き継いだために各隊に異なる楽譜が残されているのである。
 現在の音楽隊譜の違いは主として楽器編成によるもので音楽的には小さな問題だが、その音楽隊譜とは別に、文部省グループとでもいうべき楽譜が存在し、両者の間の低音と和音には明らかに四箇所の相違点がある。「君が代」は十一小節という短い曲だから、平均して三小節に一つ違いがあることになる。これは音楽上の大問題といってよいだろう。

 文部省は音楽の研究・教育を管轄する官庁である。海軍省の企画で「第二の君が代」が作られたとき、国歌作制は当省の所轄也という反感があったようだ。音楽取調掛が制作した「第三の君が代」も海軍省に対する対抗心から計画されたふしがある。明治二十六年、「第二の君が代」が祝日大祭日唱歌として告示されたとき、文部省はエッケルト原譜を元にした新譜(東京音楽学校教師R・デイートリッヒ編曲?)を発表した。これが文部省譜である。学校行事などで一般の目にふれやすいことから、オーケストラ譜や各種市販譜には、この楽譜を元にして作られたものが多く、更に両者を折衷したものも種々制作されている。
 国歌を「君が代」であると直接規定した法文は戦前戦後を通して未だ一度もない。「君が代」を国歌とする唯一の典拠は大正三年発令の海軍礼式令である。その勅令(第十五号)に基づいて国歌とされているのがエッケルト原曲に最も近い「儀制ニ関スル海軍軍楽楽譜(大正元年・海軍省達第十号)」で、厳密にいえば、旋律だけでなく編曲を含めたその楽曲全体が国歌に制定されたことになる。したがって、戦後、総理府が慣習法として国歌を継続管理しているとはいえ、他の省庁や個人の編曲作品を国歌とする根拠は全くなく、明治以来大正昭和にわたる様々な楽譜制作が何ら規制を受けていないのもそのためである。

 平成九年四月現在、日本音楽著作権協会に三曲の君が代編曲作品(無論、公式譜ではない)が個人名で著作権登録されているが、協会の編曲審査基準から考えれば、エッケルト原譜以外の公式譜は「独創性」を有せず、編曲著作物として取扱われることはありえない。つまり、国歌として個々に管理されてはいるものの、国歌でもないうえに編曲著作権も発生しない、まるで複製品の絵のような価値のない存在ということになる。
 日本伝統音楽(雅楽を含む)に「スレ・ズレ」という現象がある。隣り合った違う音を同時に発するスレと、意識的にリズムを外し合うズレである。音と言葉が合体したまま成立した日本伝統音楽独自の演奏法で、言葉から完全に遊離した音によって音楽理論を確立した西洋音楽では絶対にありえないものである。それについて詳述する紙面がないが、この日本特有の審美感にまで高められた現象は、音楽だけでなく政治や経済や文化やその他日本のありとあらゆる所に根を下ろしているようだ。例えば、君が代演奏譜の混在も、明治以来の頑迷な縦割り行政がもたらしたものであることは確かだが、誇張していえば、切磋琢磨して合理的な大きな原理を作り上げるよりも感情的な小さな心理のほうを大切にして対決を要する処理は出来る限り避けて通る日本式スレ・ズレ現象の一つということが出来るかもしれない。

 現在行われている君が代論は「君」に関する論議が中心となっている。国家観、ひいては人生観や宇宙観にまで達する大テーマである。充分に時間を掛けて論議すべきだろう。しかし、それはそれ、卒業式と大相撲千秋楽での異なる「君が代」演奏を放置しているのは、どう考えても釈然としない。先ず、出来ることから始めたらどうだろう。統一譜制定を望む声が音楽隊の現場にもあることを報告して、読者各位の意見を広く求めたい。